Tuesday, April 13, 2010

人間は流される。

常々、「人間の人格は周囲からの影響によってのみ作られる」と考えている。
(いきなりこんなことを書くと「自分で努力しても意味がない、と思ってるんだな」
などと捉えられてしまうかもしれないが、念のため、そういう意味ではない。)

人間は周囲との関係性の中で自己防衛本能が強く働く生き物だ。
何かアクションを起こす前に、
「どう思われるだろう」
「どのように見られているだろう」
と、程度に個人差はあるだろうが、少なからず気になるはずだ。
そして一人では生きていけないことを知っているので、自然と「周囲」の理解を得るような振る舞いをする。

この「周囲」という基準も人それぞれなので、
例えば若者が素行の悪い友達のグループに属していた場合、
もしかしたらその基準はそのグループに限られてしまうかもしれない。
その場合、多くは一般的に理解できない振る舞いをする場合がある。
同じように、勉強家が周囲に多ければ勉強するだろうし、
起業家の集団に身を置けば自然と起業するだろう。
さほど長くない人生だが、これまでほぼ例外なくこの公式は当てはまる。

つまり、人間は環境に思い切り依存するということ。
そもそも人間はサル→ヒトへと変遷する際に、
その場の環境に適合することで何とか進化を遂げてきたのが人間。
環境に適応する中で何とかアウストラロピテクスになり、その後のホモサピエンスと成り得た生物。
途中で一歩外れれば魚類やシダ植物になっていたわけで。
環境に適応することで種の危機を乗り越えて来たわけだから、環境に敏感なのはいわば本能なのだ。

で、あれば、人間は環境に適応する「=流される」という言葉のネガティブな側面ではなく、
その習性を理解した上でポジティブな意味合いのパートに視点を集中させるべき、と思っている。

つまり、自ら進みたいこと、やりたいことがあれば、まずは身を投じる。
シンプルで良いと思うのだ。
そうすれば自然と自分の思うように流される。

もちろん、そのベースに「こうなりたい」という強い想いがなければ意味がない。
その想いがあるからこそ、本来怠け者の人間を上手いこと自己暗示にかけることができて、
自ら置いた環境の中で無数の「気付き」を得ることができるのだ。
そして、その「気付き」を「学び」へと変えることが、自己を形成していくことと同義なのだと思う。


少々話は変わるが、例えば誰かが「環境を変えたい」と言う。
コレナガは全面的に大賛成だ。
その判断が「逃げ」であろうが「挑戦」であろうが、どちらでもいい。
ただ一点、そうやって環境を変えたことが自分の判断であると強く自覚しなければならない。
「何故、環境を変えたのか?」
と自己に繰り返し問いかけること。
自分自身の感覚に徐々にフィットさせていくこと。
そうすればその「学び」を通して自己を形成することにもつながるし、
最終的には最も自分に合った環境を見つけることができるはずだ。


で、長々と講釈を垂れたが、
もしもやりたいことが「サッカー選手」なのであれば、
まずは無理矢理にでもその環境に身を投じるのが一番だと思っている。
身体的な特性に左右される職業だから、上手く行かない場合もあるかもしれない。
けれども、そこで得た「気付き」は、自分の判断であると強く自覚できるのであれば、
人格形成にポジティブに影響すると思っている。

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